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終章 天女、帰還 + 3 +

last update Last Updated: 2025-07-11 07:21:29

 もう、天神の娘である桜桃を狙う人間はいないはずなのに、小環は相変わらず彼女の傍にいてくれる。将来を誓い合ったわけでもないのに、始祖神の末裔である次代の神皇と至高神に血を分けられた天女が愛し合い結ばれるのは自然の帰結だからとカイムの民は桜桃と小環が一緒にいる姿を心の底から嬉しそうにして見守っている。四季や柚葉のように求婚こそしてないが、小環も考えてはいるのだろう。現に、小環は彼女の傍にいる。

 周囲の人間にあれこれ口出しされるのは正直、煩わしく思う時もある。けれど、周囲の反応も含めて、桜桃にとって小環は運命のひとなのだと、痛感する。

 そして自分もまた、そんな彼に強く惹かれ、離れがたく思っているのも事実。

「……ありがとう、傍にいてくれて」

 同じ部屋で同じ時を過ごし、同じ出来事に立ち向かった同志。カイムの民が歌う神謡のように、睦みあい結ばれる未来がその先にあるのかはまだわからないけれど。

「お望みでなくても、ずっと傍にいてやるよ」

「それはあたしが天女だから?」

「それもある」

 柚葉だったらそんなことないよって真っ先に言うだろうに、小環は莫迦正直に応えてしまう。その素直なところは、桜桃は実は嫌いではない。

「じゃあ、ほかにも理由があるの?」

 意地悪そうに問い詰める桜桃に困ったように顔を向けた小環は、わかってるくせに、と小声で呟いてから、桜桃の耳朶を燻らせる甘い囁きを言葉に乗せて、彼女に反論させないよう唇を重ねてくる。

 許した覚えはないのに、最近の小環はこうして戯れに愛を囁くのだ。

「……小環のいじわる」

 桜桃は頬を膨らませながら、呆れたように言葉を返す。小環は知ってる、と笑いながら彼女の髪を、やさしく撫ぜようとするが、どこからともなくやってきた突風に煽られて、上手に掬えない。桜桃もその花散らしの風に驚き、上空で繰り広げられている花びらの乱舞に目を瞠る。

 それはまるで、四季の彩りに魅せられた神々が、その血統に連なるふたりが仲睦まじく寄り添う姿を嫉妬するかのよう。

「なんか、四季

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     ずっと、呼びたくて、呼べなかった名前。  桂也乃は神嫁御渡で神に贄として四季との思い出を捧げてしまったかのように、あれ以降、四季の名を口にすることはなくなってしまった。忘れてしまったのかもしれない。けれど、彼女はこの先も季節が廻る喜びを、夫となるひととともに分かち合うことで、彼を偲ぶのだろう。 雁もまた、四季との記憶を忘れていた。たぶん、最後にふたつ名で暗示をかけられたのだろう。解いてあげようかと小環が尋ねても、彼女は逆さ斎がしたことだから、そのままにしてあげて、と首を横に振ったのである。微笑みながら。  式神だったかすみは、椎斎にある逆井本家に引き取られていった。彼女を養っていた鬼造の人間の多くが憲兵によって帝都へ連行されてしまったからだ。  鬼造みぞれは帝都の親戚のもとで新たな生活を始めている。だが、妹のあられはこの地に残り、恋人の雹衛の故郷である『雪』に身を寄せ、彼と穏やかな暮らしを手に入れた。「……しっかりしていたなぁ、かすみさん」 今後は神職に携わって、四季が頼りにしてくれた自分のちからをこの土地のために役立てたいのだと、桜桃たちに決意を見せてくれた十三歳の少女を思い出し、溜め息をつく。  それに比べて自分は、何もできていない。春を呼ぶことはできたけど、それだって自分ひとりのちからではない。四季や桂也乃や小環が水面下で動いてくれたから、自分も羽衣を選びとって空を翔けることが叶ったのだから。  幼い頃から傍にいてくれた異母兄はもう桜桃を慰めてくれない。彼の強すぎる想いに恐怖し拒んだのは自分だが、それに絶望して死を選んだのは彼なのだから、桜桃は悪くないんだと周りの人間は言ってくれたけれど……  がさり。  腰を下ろした足先で盛りを迎えた満天星躑躅どうだんつつじの白い花木が左右に揺れた音で、桜桃は我に却る。「ここにいたのか」 湾が忘れ物でも取りに来たのだろうか。いや、違う。桜桃は顔を赤らめる。「……小環」 あたしが選んだ羽衣。天女の伴侶となる資格を持つ時の花……神皇の蕾を持つひと。  相変わらず、女装のボレロ姿のままで、何

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    「銃を捨てなさい、空我柚葉」 ……柚葉が発砲した弾は小環の傍に桜桃がいたからかおおきく外れ、空の向こうへと消えていった。 柚葉が発砲した拳銃の音に、あらたな人物が集いだす。朱色の椿の刺繍が施された黒振袖を着て背筋を伸ばしている少女と、彼女を隣で支えている袴姿の少年。そのふたりを囲うように皇一族直属の陸軍兵士の姿がある。彼らを率いてきたのは湾だった。「……桂也乃さん?」 こんな格好をしていると、まるで異母姉の梅子みたいだ。「なんとか間に合ったわね」 桂也乃は桜桃たちに向けてにこりと笑いかける。病みあがりだからか、顔色は悪い。「空我柚葉。伊妻の生き残りの娘である慈雨と彼女の養父梧種光とともに皇一族に対する反逆をみなしたものとして、神皇帝の名のもとにそなたを捕えさせていただく」 軍服姿の湾が他人行儀に柚葉を呼び、高らかに宣言する。水面下で怪しいと睨んでいた柚葉はやはり黒だった。伊妻の残党とつるんで小環皇子に向けて銃口を向けている姿が、すべてを物語っている。 柚葉は銃口を桜桃と小環に向けたまま、動かない。すでに抵抗する気のない慈雨と種光は女学校にいた『雪』の私兵と湾たちによって集められた憲兵や陸軍兵士によって身柄を拘束されている。だが、首謀者である柚葉を捕えようとする兵士の姿はない。下手に動いて小環皇子と天神の娘を傷つけることを恐れているからだ。 湾は銃を捨てろと押し殺した声で命じてから、憐憫を交えた表情で、さびしそうに付け足した。「天女が選んだ時の花は、お前じゃない」 その、かなしい言葉に、柚葉がぐらりと視線を揺らす。「ゆずにい」 桜桃は思わず柚葉を呼んでいた。「ゆすら、嘘だろ」 柚葉は視点の定まっていない漆黒の深い闇を思わせる双眸を震わせながら、桜桃を探す。自分が愛する異母妹の、理想の姿を。「ごめんなさい」 ――見つけた。可愛い桜桃。僕だけの女神。どうして謝っているの? どうして僕を怖がっているの?

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